No.006 スポティ 本編

CAREER STORY No.006
30代 / 高専卒の物語

遠回りの先で、もう一度「教員」を目指して

No.007 / スポティ

遠回りの先で、教育の世界へ戻ってきた物語

外で遊び続けた幼少期、高専受験、高専での挫折、大学編入、スポーツ工学、 企業での開発職、そして教育に関わる仕事へ。迷いながらも、自分の違和感と向き合い、 選び直してきたキャリアストーリーです。

第1話:幼少期

人生の軸---「弱音を見せない」という癖のはじまり

外で遊ぶことが好きだった日々の中で、弱音を見せない自分が少しずつ形づくられていった。

外で遊び続けた記憶

放課後のグラウンドは、いつも男の子の声で満ちている。 いつも私はその輪の真ん中にいた。

周りの女の子たちが教室でプリキュアやセーラームーンといったアニメの話をしている中、私は男の子に混ざって鉄棒、ドッジボール、バトルゲームを楽しんでいた。

別に意識していたわけじゃない。 ただ、その方がなんだか居心地がよく楽しかった。 なので一日が終わる頃には、毎日くたくたで、家に着くとそのまま眠っちゃうこともあった。

週末の過ごし方もほとんど変わらない。 両親もスポーツが好きだったこともあり、週末は家族で公園に行き、帰りにカフェに寄って帰る。そんな何でもない日々の繰り返しが、気づかないうちに私の土台を作っていた。

楽しくない時間

そんな中で、ひとつだけ違う時間があった。

ピアノの時間。

母に言われて、なんとなく始めた習い事だった。「楽譜が読めた方がいいから」っという理由で。でも正直、体を動かすことが好きだった私としてはその時間はあまり楽しくなかった。週に一度、ピアノ教室の前に座るたびに、同じことを思う。

早く終わらないかな、と。

言えなかった一言

辞めたいな、って思ったことは何回もある。 でも、それを口に出せなかった。なんでだろうと今でも思うけど、男の子たちに混じって毎日遊んでいると、弱音を見せることがどこか「かっこ悪い」ことに思えてくる。 そういう空気が、気づかないうちに体に染みついていたのかもしれない。 気づけば小学6年生までピアノをやり続けていた。

小5のときには当時仲の良かった友達の父親が経営する、小さな塾にも通うことになった。 最初は通う気すらなかったのだが、初回体験授業で、鉄板に電極をつけてケーキを焼いて食べる「理科の実験」があり、それがすごく楽しくて、家に帰るころには「この塾に通いたい」 と両親にお願いした。

両親も快く入塾させてくれたのだが、塾に入って最初の授業が始まると 体験授業の楽しさはどこへやら… 学校と変わらない授業が私を待っていたのだ。

それでも仲のいい友達と一緒に雑談なんかもしながら勉強できたことは、 すごく良い時間ではあったのでピアノほどの苦痛はあまり感じなかった。

得意なことと、苦手なこと

一方で、運動はずっと好きだった。

小学校の部活動みたいな集まりにも参加して、バスケとかサッカーとか、いろんなスポーツをやっていた。

やればやるほど、できることが増えていく感覚があって、それが単純に楽しかった。学年が上がるにつれて、人前に立つ機会も増えていった。

何かをまとめたり、前で話したり。最初は少し緊張していたけど、だんだん慣れていく。

気づけば、「前に立つこと」が好きになっていった。

第2話:中学進路

分岐点——「高専」という、知らなかった世界

数学への興味と、外から見ただけのキャンパスが、進路を大きく動かしていった。

部活動の楽しさと、少しずつ見えてきた得意

中学に入ると、部活を選ばなければならなかった。

体を動かすのが好きだった私は、迷わず運動部を考えた。ただ、いろんなスポーツを経験してきた分、どれか一つに決めきれない。そんな時、小学校から一緒にやってきた友達に声をかけられた。 「バスケ、一緒にやらない?」 その一言で、あっさり決まった。悩んでいた時間が嘘みたいに。

勉強は、小学校から続けていた塾のおかげで、比較的スムーズについていけていた。特に数学は、中学に入ってから急に面白くなった。公式を使えば答えにたどり着く。問題を解くたびに、次に何をすればいいかが少しずつ見えてくる。その感覚が心地よかった。

部活と勉強、どちらもそれなりにうまく回っていた。 でも、この時はまだ、自分の将来を深く考えることはなかった。

「高専」という選択肢との出会い

転機は、中学3年の春に訪れた。 父が、知り合いの先生との会話の中で、私の進路について相談したらしい。その中で出てきたのが、「高専」という言葉だった。 「数学が好きなら、高専っていう道もあるらしいけど、知ってるか?」 正直、まったく知らなかった。

最初はよく分からないまま調べ始めたが、普通の高校とは違う仕組みが次々と出てきた。5年間の一貫教育。専門分野を早くから学べる環境。入試の時期も違う。調べれば調べるほど、なぜか惹かれていった。 気づけば、頭の中から「普通科の高校」という選択肢が消えていた。

外から見ただけのキャンパス

夏のオープンキャンパスで、明石高専と神戸高専の両方に見学に行こうとした。でも神戸高専はすでに締め切り期限が過ぎており明石高専しか見学できなかった。 そのため神戸高専は校門の前まで行って、ちらっと校門から校舎をのぞくだけになった。ちゃんと中に入れたわけじゃない。一瞬見えた校舎を、外から眺めただけだ。

それでも、「ここがいい」と思った。 校舎の雰囲気がどこか違って見えた。理由はうまく説明できない。ただ、ここで過ごす自分の姿が、なんとなく想像できた。 たったそれだけで、志望校は決まった。今思えば、かなり曖昧な決め方だったと思う。

初めて「自分で動かした」感覚

ただ高専といっても、学科によって学べることは大きく違う。どの学科にするかも決めないといけなかった。

きっかけは、中学3年生の技術の授業でプログラミングの授業があり、その中でプログラムを組んで画面上に国旗を描くという課題に挑戦した。コードを書き込んでいくと、画面上のも のが思い通りに動く。

「自分が書いたことが、現実になってる」 その感覚に心が引かれた。もっとプログラミングについて学んでみたいと思うようになって、電子工学科の道を目指すことを決めた。

志望校も、学科も決まった。残っているのは、受験だけだった。 ただ、決断したのは中学3年の夏。周りと比べると、少し遅いスタートだった。間に合うのかどうか。 そんな不安を抱えながら、ようやく私は動き出した。

第3話:高専受験

高専受験——遅れたスタートと、不器用な戦い方

得意と苦手がはっきりする中で、不器用でも止まらずに準備を積み上げていった。

「時間がない」という現実

高専を目指すと決めたのは、中学3年の夏。 周りはすでに志望校を決め、受験対策も進めている。そんな中で、私はようやくスタートラインに立ったばかりだった。 「……これ、間に合うのか?」 焦りはすぐに現実になった。でも、立ち止まっている時間はなかった。

まず塾の先生に「高専に行きたい」と伝えた。するとすぐに、高専向けの教材と過去問を渡された。 「とにかく、これをやろう」 その日から、私の受験勉強が始まった。

得意と苦手が、はっきりした瞬間

過去問を解き始めて、すぐに気づいた。 数学と理科は、解ける。問題の流れが見えるし、解いていて手応えもある。解き進めるたびに、少しずつ自信が積み上がっていった。 でも、英語だけは違った。

単語が読めない。文章の意味が入ってこない。そもそも英語に向き合うこと自体が苦手だった。これまでのテストは、教科書を丸暗記して乗り切ってきた。でも、高専の問題はそれで は通用しない。何度解いても、結果は変わらなかった。それでも、やめるという選択肢はなかった。

理解できなくてもいい。とにかく解く。間違えても、もう一度やる。同じ問題を何度も繰り返す。正しい方法かどうかは分からない。ただ、「やり続けるしかない」と思っていた。

不器用なまま、積み上げた準備

推薦入試の対策も並行して進めた。 まずは、面接で話す内容を作ることから始めた。学校の先生に何度も見てもらいながら、想定される質問を一つずつ文章にしていく。

そして完成した文章は、そのまま覚えた。一言一句、丸暗記。 応用は効かないやり方だったと思う。でも、その時の私にはそれが一番安心できた。 面接練習も繰り返した。姿勢や目線、話し方。細かい部分まで指摘され、そのたびにやり直した。正直、何度も嫌になった。 それでも、「ここで止めたら間に合わない」と思うと、続けるしかなかった。

想定外の出来事と、少しの余裕

試験当日。 同じく推薦を受ける同級生3人と電車に乗り、会場へ向かっていた。 順調にいくはずだった。でも、「ガタン」という大きな音とともに電車が急に止まった。

アナウンスが流れても動く気配はなく、時間だけが過ぎていく。 一気に不安が押し寄せた。線路に降り、歩いて次の駅へ向かい、駅近くの公衆電話から学校に連絡し、先生の車でなんとか会場には到着できたが、頭の中は真っ白だった。

ただ、会場に入ると様子が少し違っていた。 同じように遅れてくる受験生、慌ただしい学校。 「みんな同じなんだ」 そう思った瞬間、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。

合格と、その先にあるもの

面接では、覚えてきたことをそのまま話した。うまくできたかは分からない。ただ、途中で止まることはなかった。 数日後、結果が出た。電子工学科、合格。 その文字を見たとき、ようやく息が抜けた。遅いスタートでも、なんとか間に合った。そう思った。

でも同時に、心のどこかで感じていた。 「これはゴールじゃない」 むしろ、ここからが始まりなんじゃないか。そんな感覚だけが、静かに残っていた。

第4話:高専生活

高専生活——自信を失った場所で、初めて自分と向き合った

高専の厳しさに自信を失いながらも、バスケを支えに踏みとどまった日々。

思っていたより、ずっと厳しい場所

合格したあの日に思い描いていた高専生活は、すぐに崩れた。 授業のレベルも、スピードも、中学とはまるで違った。 これまでは塾で予習復習をしていたから、学校の授業だけでもなんとかなっていた。でも高専には塾がない。自分で時間を作り、自分で理解しないと、ついていけない。それが、でき なかった。

気づけば最初の試験で、40人中38位。 答案用紙を見た瞬間、頭が真っ白になった。 「こんなはずじゃなかった」 中学では、それなりにできる側だった。少なくとも、勉強で困ることはなかった。でもここでは違った。その後の試験も、結果は変わらなかった。赤点ばかり。高専では60点以下が赤点 になる。気づけば、三者面談に呼ばれていた。

「このままだと、留年しますよ」 担任の言葉が、静かに刺さった。高専に入ったこと自体が、間違いだったんじゃないか。そう思うくらいには、自信をなくしていた。

それでも、バスケだけは楽しかった

そんな中でも、私の心が折れなかったのは部活動があったからだ。

高専でも中学と同じバスケ部に入ったが、雰囲気はまるで違った。厳しく管理される練習ではなく、自分たちでメニューを考え、自由に取り組むスタイル。誰かにやらされるのではな く、自分たちで作る練習。 それが、とにかく楽しかった。体育館にいる時間だけは、自分でいられた。

でも、その時間すら失うかもしれなかった。 「この成績のままなら、部活も続けられないよ」親にそう言われたとき、ようやく焦りが現実になった。やっと、火がついた。

自分で勉強時間を作るようになり、勉強スケジュールも立てて、分からないところはそのままにせず、先生に聞きに行った。それまで避けていたことを、一つずつやっていった。すぐに 結果が出たわけではない。 でも、少しずつ点数が上がっていった。なんとか、踏みとどまったのだ。部活も続けられたし、留年もせずに進級できた。

支えを失った日

少しずつ、バランスが取れ始めた頃だった。その日も、いつも通りの部活動だった。でも、一瞬だった。バスケの練習で膝をやってしまったのだ。診断は、靭帯損傷。手術が必要なほどの大ケガだった。医者からもしばらくバスケはできないと言われ、私は頭の中が、真っ白になった。

こうして学校生活の中で、唯一楽しいと思えていた場所が、突然なくなってしまった私は何を支えに過ごせばいいのか、分からなくなっていた。

立ち止まったからこそ、見えたもの

そこからリハビリの日々が始まった。思うように動かない体。少しずつしか進まない回復。その時間は、これまでとは違う種類のものだった。 ただ、その中で、ふと考えるようになった。どうして体はこう動くのか。なぜこの筋肉が必要なのか。少しずつ、体の構造や仕組みに興味を持ち始めていた。それは、これまで意識した ことのない視点だった。

この時はまだ、それが何につながるのかなんて考えていなかった。 ただ、止まった時間の中で、別の何かが静かに動き始めていた。 それが、次の選択につながるとは、この時の私はまだ知らない。

第5話:大学編入

大学編入——離れたいと思った先にあったもの

工業から離れたいという思いと、体への興味が大学編入という新しい選択につながった。

手放さなかったものと、離れたかったもの

リハビリをしながらも、私は勉強に食らいついていた。理由は単純だった。留年すれば、部活をやめなければならない。それだけは、どうしても避けたかった。バスケができなくてもい い。ただ、戻れる可能性だけは残しておきたかった。その一心で、なんとか単位をつなぎ止めていた。

しかし、学年が上がるにつれて現実は厳しくなっていく。専門科目は一気に難しくなり、特に好きだったはずのプログラミングは、見たことのない言語ばかりで、実習ではバグの連続。 思うように動かないコードを前に、ただ時間だけが過ぎていった。

達成感は、いつの間にか感じられなくなっていた。 「これ、本当に自分に向いてるのか」そう思うことが増えていった。 一方で、回路などの電気系の実験には、まだ少しだけ手応えがあった。 「こっちの方が向いているのかもしれない」と思い始めたが、それも長くは続かなかった。

4年生になる頃には回路の授業も急に難しくなり、気づけば実験では記録係に回ることが増えていた。勉強は、どんどんしんどくなっていく。それでも、部活だけは続けていた。そこだ けが、気持ちを保てる場所だった。

新しい選択肢との出会い

5年生になり、卒業研究が始まった。結局、選んだのはプログラミング。 皮肉なものだと思った。でも、心の中ではもう決まっていた。 「もう、工業はいい」 嫌いになったわけではない。ただ、この先も続けたいとは思えなかった。

そんな時、ふと思い出した。 バスケ部の3つ上の先輩が、高専から体育学科の大学へ進学したという話。 「そんな道があるのか」その瞬間、初めて工業以外の選択肢が現実として見えた。リハビリをきっかけに興味を持った「体」のこと。それをもっと深く学びたい。気づけば、私は某大学 の体育学科について調べ始めていた。

迷いと現実の間で

とにかく情報を集めた。先輩に連絡を取り、図書館やインターネットで調べ続けた。高専からの編入。試験内容。体力テスト、小論文、面接。 調べるほどに、「これならいけるかもしれない」と思えるようになった。

それでも、不安は消えなかった。工業とは無縁の分野でやっていけるのか。本当にこの選択でいいのか。他の大学も探したが、学力や英語の壁に阻まれ、現実は想像以上に厳し かった。

正解かどうかは分からない。でも、「やりたいかどうか」だけははっきりしていた。

新しい場所へ

第一志望にすべてをかけた。体育の実績がない分、工業の経験と結びつけた自己PRを作り、小論文や体力テストも対策を重ねた。先輩や当時流行していたSNSを使い、過去問や 情報もかき集めた。できることは、全部やった。

そして、結果は合格。 その文字を見た瞬間、肩の力が抜けた。同時に、少しだけ高揚した。 これで、工業から離れられる。

兵庫県を飛び出し新しい土地で、新しい生活が始まる。期待と不安が入り混じる中で、私は次の一歩を踏み出した。この選択が、どこにつながるのかも分からないまま。

第6話:大学生活

大学生活——離れたはずの世界と、もう一つの学び

工学から離れたはずの場所で、もう一度別の形で工学と向き合うことになった。

新しい場所と、想定外の再会

兵庫とは気候も町の雰囲気も異なる九州での生活は、これまでとはまるで違っていた。見知らぬ土地での一人暮らし、工業とは無縁のスポーツ学中心の授業、そして周りにいるのは 高専では出会うことのなかった人たちばかりで、そのすべてが新鮮で、ただ純粋に楽しかった。 「やっと工学から離れられた」そんな実感を持ちながら、少しずつ新しい環境に馴染んでいった。

そんな日々の中で、流れを変える出来事が起きる。「高専出身なら、うちの研究室に来なさい」そう声をかけてきたのは、動作解析を専門とする工学系の教授だった。さらにこう続い た。「高専出身だからこそできる実験や分析があるんだ」その言葉には、単なる勧誘以上の熱があった。自分でも気づいていなかった価値を見抜かれたような感覚と同時に、「その期 待に応えたい」という気持ちがどこかで芽生えていた。やっと離れたはずの工学の世界だったが、気づけば私はもう一度その中に足を踏み入れていた。

思っていた以上の壁

研究室で扱うのは「MATLAB」という言語で、数値計算やデータ処理を行うものだった。高専でやってきた延長だろうと考えていたが、その感覚はすぐに崩れる。文法も考え方もまるで 違い、同じ“プログラミング”とは思えないほど別物で、画面の前で何度も立ち止まった。

研究内容も想像以上だった。人の体の動きを数値として扱い、関節の角度に応じて出力される「筋電」という数値をプログラムで制御するというものだったが、コードを書くというよりも 体の動きとデータを結びつける作業に近く、最初は何をしているのかさえ掴めなかった。理解が追いつかないまま時間だけが過ぎていく日もあり、「やっぱり自分には難しいのかもし れない」と感じることも増えていった。

授業でも同じような壁にぶつかる。スポーツ工学の専門学校出身の学生たちは、体の構造や動きに関する知識を当たり前のように持っていて、彼らにとって自然なことが自分には何 倍もの時間をかけないと理解できない内容だった。さらに戸惑ったのは「答え」の考え方だった。これまで高専では一つの正解に向かって考えることが多かったのに対し、ここでは一 つの問いに対して答えがいくつもあり、どれも間違いではない。その感覚に最初はどうしても馴染めず、何度も立ち止まった。

答えのない中で、選び直す

教科書やノートだけでは限界があると感じた私は、バスケ部のマネージャーとして現場に入ることを選んだ。実際に選手の動きを見て、ケガやコンディションと向き合いながら、一人一 人に合った対応を考える日々。そこには決まった正解はなく、その場で考え続けるしかなかったが、その感覚が少しずつ自分の中に馴染んでいくのを感じていた。

もう一つの現実は単位だった。大学では単位の取り方によって将来が変わる。教員免許を取得するためには2年間で62単位という重い課題があり、一から学び直す自分にとっては 簡単ではなかった。それでも、ここまで来た以上やり切りたいという気持ちの方が強く、必要な授業を一つずつ積み重ねていった。楽ではなかったが、なんとか取り切ったときには、自 分でも少しだけやり切った実感があった。

すべてが順調だったわけではない。それでも、新しい仲間と過ごす時間や、これまで知らなかった世界に触れる日々の中で、「ここに来てよかった」と思える瞬間が確かにあった。工 学から離れたはずの場所で、私はまた別の形でそれと向き合いながら、自分の選び方そのものを少しずつ学び始めていたのだった…。

第7話:進路選択

進路選択——揺れながら決めた一歩

体育教師という道と、企業からの誘い。その間で揺れながら次の一歩を決めていった。

見えてきた分岐点

大学生活にも少しずつ慣れ、一年が過ぎた頃には単位もなんとか取りこぼさずに進められるようになっていた。新しい環境にも人にも馴染み始め、「このままやっていけるかもしれな い」と思える余裕が出てきた一方で、次に考えなければならないことが静かに迫っていた。 「進路」である。周りでも「どこに就職する」「院に行く」といった話が増え、自分も今後の進路について向き合わなければいけない時期に来ていることを実感する。

一つ頭にあったのは、体育教師という道だった。 体のことを学び、現場に関わる中で、その選択はむしろ自然な流れのようにも思えていた。ただ同時に、教員採用試験や卒論といった現実的なハードルも見えていて、簡単に進める 道ではないことも分かっていた

想定外の誘い

そんな中で、不意に別の選択肢が現れる。 卒業研究で関わっていたプロジェクトの中で、教授と共同研究をしていたスポーツアパレルメーカーの担当者から「うちの会社に来ないか」と声をかけられたのだ。正直、最初は戸 惑った。そもそも企業に就職することは考えていなかったし、体育教師になるという軸が自分の中ではっきりしていたからだ。一度は断ったものの、その言葉はどこかに残り続けてい た

指導教員に相談すると、「ここまで声をかけてもらえる機会はなかなかないよ。一度受けてみてもいいんじゃないか」と言われる。その言葉で、少しだけ気持ちが揺れた。受からなけ ればまた元の道に戻ればいい、そう考えて「とりあえず」で面接を受けることにした。

流れるように決まった道

ダメもとのつもりだった。それなのに、選考は驚くほどスムーズに進んでいく。気づけば最終面接まで進み、そのまま内定が出た。あまりにもあっけなく決まってしまい、「こんなに簡単 に終わっていいのか」とどこか現実味がなかった

実はその裏で、もし不合格だった場合に備えて教員になるための教育実習の申請もしていた。結果的に内定が出たあとにその実習へ行くことになったのだが、実際に現場に立って みると、やはり感じるものがあった。生徒と向き合う時間の中で、「教員という仕事もいいな」と思う自分が確かにいた。

それでも最終的に選んだのは企業だった。「もし違ったら、その時またやり直せばいい」そんな逃げ道を残したままの決断だったが、気づけば少しずつ気持ちはサラリーマンとしての 未来に向いていった

はっきりとした覚悟があったわけではない。ただ、その時の自分にとって一番現実的で、流れに乗った選択だった。この決断がどこにつながるのかも分からないまま、私は次のステー ジへと足を踏み出していた。

第8話:社会人

進路選択——揺れながら決めた一歩

開発職としてやりがいを感じながらも、小さな違和感は消えずに残り続けていた。

社会人としてのはじまり

大学を卒業し、私は再び関西の地に戻ってきた。高専時代の友人たちより少し遅れての社会人スタートだったが、これまでの時間をやり切ったという感覚もあり、どこかすがすがしい 気持ちで入社式を迎えていた。新しい同期と出会い、これから始まる社会人生活に少し緊張しながらも、どこかで期待もしていた

入社前は、親や先生から「学生の延長じゃないんだから、ちゃんとしなさい」と何度も言われていた。その言葉を真に受けて、私はそれなりに身構えていた。社会人はもっと厳しくて、 もっと息が詰まるような世界なのだと思っていた

でも、いざ入ってみると、少し違った

意外だった現実

スポーツアパレルメーカーということもあってか、社内の雰囲気は想像していたよりも柔らかく、どこか体育会系の延長のような空気があった。「あれ、こんなもんか」と、少し拍子抜け したのを覚えている

もちろん、基本的なことはしっかり求められた。先輩にはきちんと挨拶すること、話すときははっきりと声を出すこと、分からないことは分からないと言うこと、フロアの移動は階段を使う こと、締切を守ること

一つ一つは当たり前のことばかりだった

でも、そのどれもが特別難しいとは感じなかった。むしろ、高専時代に自然と身についていたことばかりで、「これならやっていけるかもしれない」と思えた

仕事に没頭する日々

入社後は1か月ほどの研修から始まり、スポーツ工学の基礎を改めて学んでいった。内容もこれまでの延長線上にあるものが多く、大きな苦労はなかった。その後、開発部門に配属 された

開発を選んだ理由は明確だった。これまで研究を続けてきた流れもあり、営業やマーケティングに対する自信はなかったし、何より関西で働き続けたいという思いがあった

仕事は、ひたすらトライ&エラーの繰り返しだった。さまざまな競技用の製品を扱いながら、実験を重ねて改良していく。やがて担当する領域も絞られていき、私は水着やトライアスロ ンスーツの開発に関わるようになった

自分が関わったものが形になり、使われる。その実感は確かなやりがいだった

小さな違和感と、流れていく時間

大きな不満はなかった。むしろ、仕事は楽しかったし、充実していたと思う

それでも、ふとしたタイミングで考えることがあった。「このままずっと、この会社で働き続けるのか」と。特に三年に一度、自分のこれからを見つめ直すような時期があって、そのたび に小さな違和感が顔を出した。

ただ、その違和感も長くは続かなかった。「やりがいはあるし、今は楽しい」そう自分に言い聞かせるように、また日常に戻っていく

気づけば、その繰り返しの中で時間は過ぎていき そしていつの間にか、社会人も中堅に差し掛かっていた。

違和感が完全に消えたわけではなかった。 ただ、それを見ないようにしながら、前に進み続けていた。

第9話:転職

転職——止まっていた夢と、動き出した現実

心の奥に残っていた教育への想いが、少しずつ現実の行動へ変わっていった。

消えなかった想いと、小さなきっかけ

社会人も中堅に差し掛かった頃、またあの感覚が戻ってきた。数年に一度、自分を見つめ直すタイミング。ただ今回は、これまでと違っていた。「やっぱり、先生になりたかったんじゃ ないか」心の奥に残っていた想いが、はっきりと浮かび上がってきた。動くなら今しかないという現実も重なり、これまで見ないようにしていたものと向き合わざるを得なくなっていた

そんな中で、ある出来事があった。担当部署の上司とのやり取りの中で、少し引っかかることがあった。大きな問題ではないし、よくあることかもしれない。ただ、その小さな違和感が なぜか残り続けた。「このまま少しマイナスな気持ちで働き続けるのか」そう考えたとき、ふと浮かんだのは、やりたいことに挑戦したいという感情だった

選び直すための行動

最初に思い浮かんだのは体育教師という道だったが、現実的な負担や責任の大きさを考えると簡単には踏み出せなかった。そこで、「教育に関わる別の形」を考えるようになり、学生 と関われて学校を支える仕事として大学職員という選択肢にたどり着く。関西圏かつ国公立という条件で調べていく中で見つけたのが神戸市公立大学法人だった。

調べていくうちに、その中に高専も含まれていることを知り、「ここで働きたい」と自然に思うようになっていた。12月頃から履歴書の作成や面接準備を始め、知り合いに話を聞きなが ら情報を集めていく。動きながらも何度も迷いはあったが、そのたびに「本当にやりたいことは何か」と自分に問い直し、「教育に関わりたい」という気持ちを軸に決断を重ねていった。

手放した先にあったもの

3月、ようやく内定をもらったとき、嬉しさよりも先に現実が押し寄せてきた。本当に環境を変えるんだという実感だった。会社に退職を伝える中で、一番つらかったのは仲の良かった 上司に話す瞬間だったが、それでも新しい道を進むためには必要な選択だった。

そして4月、私は再び学校という場所に立っていた。11年越しにたどり着いたその環境は、かつて思い描いていた「先生」とは少し違う形ではあったが、確かに教育の中にいる実感が あった。止まっていたものがようやく動き出したような感覚の中で、これから先に何が待っているのかは分からないまま、それでも自分で選んだこの道を進んでいこうと思えた。

第10話:現在

現在——たどり着いた場所と、その先

理想とは少し違っても、自分で選んだ場所で前に進んでいる実感がある。

戻ってきた場所で

4月、私は再び学校という場所に立っていた。十数年ぶりに戻ってきたその空間は、どこか懐かしく、それでいて少し新しく感じられた。慣れ親しんだ土地の空気を吸い込んだ瞬間、こ れまで心の奥に残っていたもやもやが一気に晴れていくような感覚があった

「やっと、ここまで来た」

そんな気持ちで校門をくぐった

思い描いていた“教員”という形とは少し違っていたが、それでも憧れていた教育の世界にいるという実感は確かにあった。このまま順風満帆に進んでいく、そんな未来をどこかで思い 描いていた

理想と現実のあいだ

ただ、現実は少し違っていた。仕事が始まると、思っていた以上に企業とのやり取りが多く、学生と直接関わる機会は限られていた。自分がやりたかった「学生と向き合い、より良い 環境をつくる」という仕事は、なかなか任せてもらえない

最初は戸惑った。少しだけ物足りなさも感じた

それでも、不思議と大きな不満にはならなかった。これまでお世話になってきた高専を、今度は自分が支える側として関われている。その中枢に近い場所で動けているという実感が、 確かなやりがいとして残っていたからだ

今、できることを

気づけば、自分の中で少しずつ考え方が変わっていた。理想通りの仕事ができていなくても、この場所にいる意味はある。むしろ、ここでしかできないことがあるのではないかと

今は学生だけでなく、地元企業や行政、教授、高専OBの方々と関わりながら、新しい取り組みに挑戦する日々を送っている。一つ一つは小さなことかもしれないが、その積み重ねが 高専をより良くしていくと信じている

すべてが思い通りではない。それでも、自分で選んだ場所で、自分なりに前に進んでいる実感がある

そしてふと思う

あの時、迷いながらも動いたからこそ、今ここに立てているのだと

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