CAREER STORY No.003
20代 / 高専卒の物語

高専キャリアに捕らわれない"高専クリエイター"

No.003 / ダルマ

「技術と感性を行き来する」キャリアの物語

高専での熱狂、挫折、大学編入、東京での就職、 そしてイラストレーターとしての挑戦へ。技術者としての視点と、表現することへの情熱が交差していくキャリアストーリー。

第1話:幼少期

人生の土台―9歳からの成功哲学

苦手を分析し、工夫で乗り越える感覚は、この頃に生まれた。

「ほら、あそこ。みんなと一緒にやっておいで」

母の手に背中を押され、僕はひどく心細い気持ちでその広い空間を見上げていた。幼稚園の放課後、放たれた子供たちの熱気で蒸せ返る体育館。そこでは小学生向けの空手教室が行われていた。
幼少期の僕は、絵を描くことや工作を好む、絵に描いたような内気で泣き虫な少年だった。集団の中に飛び込むのは何よりも勇気がいることで、特に球技などのスポーツは、自分でも「向いていない」と確信していた。

親からも「あんた、球技は本当にどんくさいわね」と苦笑いされる始末で、対戦形式の習い事なんて、苦行でしかないと思っていたのだ。しかし、泣きべそをかきながら参加した無料体験会で、僕の予想は心地よく裏切られた。

「エイッ!」

お腹の底から声を出し、突きを放つ。空気が裂ける音が心地いい。何より、指先まで神経を研ぎ澄ませて「綺麗な型」を作ると、先生が「今の突き、素晴らしいぞ!」と真っ直ぐに褒めてくれた。
球技のように予測不能なボールに振り回されるのではなく、自分の体を、自分の意志で、一ミリ単位で制御していく。その感覚が、内気な僕の心に小さな灯をともした。

小学校に上がる頃には、真っ白だった帯は色付きのものへと変わっていた。ちょうどそのタイミングで、練習場所が自分のマンションの集会所へと移った。すると、近所に住む同級生たちが「近くて便利だから」と、続々と入門してきたのだ。昨日まで学校の廊下ですれ違っていた友達が、真っ白な道着に身を包んで僕の前に並ぶ。一足先に始めていた僕は、気づけば集団の最前列に立っていた。

「整列! 気をつけ!」

先生からリーダーに任命され、僕の号令で稽古が始まる。先頭に立って、後輩たちに型を教える。
幼稚園の体育館で誰かの後ろに隠れていた僕が、ここでは「導く立場」になっていた。「ダルマくん、すごいな」友達の羨望の眼差しは、弱気だった僕にとって最高に甘美なマウント……いや、小さな誇りだった。けれど、現実はそう甘くはない。道場内ではリーダーでも、一歩外の大会へ出れば、僕は相変わらず「負け組」だった。特に対面で打ち合う「組み手」は、恐怖心が勝って体が動かない。何度挑んでも、勝てない日々が続いた。自分より体格のいい相手の突きを受けるたび、幼い頃の「どんくさい自分」が顔を出す。

「もう、無理かもしれない……」

心が折れかけていたある夜、母がふと言った。
「勝てないって嘆く前に、上手な子をよく観察してみなさい。真似をするのが、上達の一番の近道よ」

最初は半信半疑だった。そんなことで勝てるなら苦労はしない。けれど、背に腹は代えられない僕は、次の大会で自分の試合が終わった後、食い入るように決勝戦のコートを見つめた。隅々まで分析し、相手の足の運び、拳を引くタイミングを脳内に焼き付ける。家に戻れば、鏡の前でその残像を自分の体に重ね、何度もイメージトレーニングを繰り返した。すると、ある瞬間に「正解」が降りてきた。パズルのピースがはまるように、相手の動きの「隙」が見えるようになったのだ。

小学校5年生の秋。区大会のコートに立った僕は、以前の僕ではなかった。相手の出方を読み、刹那のタイミングで踏み込む。気づけば、僕はトーナメントを勝ち上がり、生まれて初めての「3位」に輝いていた。銅メダルを首に下げたとき、胸にこみ上げてきたのは単なる喜びではなかった。「苦手なことでも、コツを掴めばやれるんだ」

それは、運動音痴という呪いから自分を解き放った、人生最初の成功体験だった。戦略を持って挑めば、世界は変えられる。この小さな確信が、僕の人生という長い物語の「土台」となった瞬間だった。

第2話:中学〜進路

高専を選んだわけ―新たな座標軸

窮屈な時間の先で、「ここなら変われるかもしれない」と思えた場所。

空手という「自分の居場所」を見つけ、ようやく小さな自信を手に入れたのも束の間、成長とともに周囲の景色は変わり始めた。中学校進学を前に、あれほど共に汗を流したマンションの同級生たちは、一人、また一人と道着を脱いでいった。

「空手を続けたい」

そんな僕の純粋な願いは、現実の壁に阻まれる。進学先の中学校に空手部は存在しなかった。当時はまだクラブチームに通い続けるという選択肢も一般的ではなく、「中学に入ったら何らかの部活動に属するべきだ」という親の強い勧めもあり、僕は小学校5年生からバスケットボールを習い始めた。それが、長く苦しい「忍耐の季節」の始まりだった。

バスケが大好きだったわけではない。ただ「中学の部活のために」という義務感だけで始めた競技だ。当然、身が入らない。空手のように一挙手一投足を自分のペースで追求する世界とは真逆の、激しく、流動的で、予測不能な集団スポーツ。中学のコートに立っても、かつての「弱気で内気な自分」が再び顔を出し始めていた。ミスをすればチームの足を引っ張る。監督の怒声が響く。
僕はいつしか、相手ゴールを狙うことよりも「ミスをして怒られないこと」ばかりを考えるようになっていた。試合に出ても消極的になり、縮こまったプレーしかできない。自信は音を立てて崩れ、部活動は楽しむものではなく、ただ三年間をやり過ごすための「修行」へと変質していった。

その一方で、僕を救っていたのは「勉強」という孤独な作業だった。塾に通う友達を横目に、僕は進研ゼミなどの教材を自分のペースでこなすスタイルを確立していた。自分で計画を立て、理解の網の目を埋めていく感覚。それはあの空手で培った「観察とハック」の応用のようでもあった。授業には問題なくついていけ、成績も良好。部活動で削り取られた自尊心は、テストの点数によってかろうじて補完されていた。だが、進路については全くの空白だった。「自分の学力に見合った普通科の高校へ行き、また同じような毎日を繰り返すのだろう」と、中三の一学期になっても漠然とした未来を疑いもしなかった。そんな僕の澱んだ空気を切り裂いたのは、やはり母の言葉だった。

「あんた、数学とか工作が好きじゃない。高専っていう選択肢、合ってると思うわよ」
勧められるままに向かった高専のオープンキャンパス。そこは、僕が知っている「学校」の概念を根底から覆す場所だった。どこまでも続く広大な敷地、重厚な研究棟、そして最先端のロボット。圧倒されたのは設備だけではない。そこにいる学生たちは自由な服装や髪型で、3年で終わる高校とは違う「5年」という長い月日をかけて専門を極める特異な道を歩んでいた。何より、その「異端」な空気にワクワクした。普通科へ行き、みんなと同じ道を歩むことが正解だと思い込んでいたけれど、ここには「他とは違う道」を切り拓く面白さが満ち溢れている。バスケで押し殺していた好奇心が、銀色の校舎群を前に激しく脈打ち始めた。

受験勉強に迷いはなかった。自学自習を貫き、塾の講習で実力を研ぎ澄ませ、僕は無事、推薦入試の切符を勝ち取る。面接練習を重ねた本番、内気だった少年はもういなかった。自分の言葉で、淀みなく情熱を伝えた。合格通知を手にしたとき、僕は確信した。これで、あの窮屈なバスケのコートからも、平均化された未来からも解放される。銀色の要塞の扉が開く。そこには、まだ誰も知らない「自分だけの正解」が待っているはずだ。

だが、この時の僕はまだ知らなかった。「集団スポーツはもうこりごりだ」と思っていたはずの僕が、この自由な地で、人生で最も熱狂する「ラグビー」という名の、もう一つの楕円の道に出会うことになることを。

第3話:高専生活

「負けず嫌い」な僕が、楕円の球で日本一を掴むまで

苦手意識のあった集団競技の中に、自分の強みを生かせる場所があった。

銀色の要塞、高専の門をくぐった僕を待っていたのは、予想だにしない展開だった。「集団スポーツはもうこりごりだ」――中学時代のバスケで心底そう思っていたはずの僕が、気づけばラグビー部の体験入部に足を運んでいたのだ。理由は単純だった。他が選ばなさそうな「マイナーな道」への好奇心。そして、実際に触れてみたラグビーが、僕の想像を絶するほど「頭脳戦」だったからだ。

中学までの僕は、決められた枠組みや、身体能力の差が如実に出る競技の中で、常に「正解」を探して萎縮していた。しかし高専は違った。ここは、自分の得意なこと、興味があることに際限なく没頭できる場所。ラグビーには、一人ひとりに明確な「役割」がある。足の速い者、力の強い者。そして、僕のように「敵の隙」を観察する者。それぞれの特性が、戦術というパズルの中にピタリとはまっていく。「自分で考え、戦略を立てて、その通りに相手を崩す。……これなら、僕のやり方で戦える」

自分の個性を生かせる場所を見つけたことで、内面に変化が訪れた。小さな成功体験が積み重なるたびに、かつての弱気で泣き虫だった性格は、薄皮を剥ぐように消えていった。得意なこと、好きなことに打ち込む日々の中で、僕の中に眠っていた「負けたくない」という純粋な感情が、初めて目を覚ましたのだ。その感情は、勉強面でも僕を突き動かした。材料力学や材料工学の複雑な数式を工夫して解く時間は、僕にとって至福の知的ゲームだった。文字式をこねくり回し、最短のルートで答えを導き出す快感。それはラグビーで相手のディフェンスラインの穴を見つけ、最短距離でトライを狙う感覚に似ていた。

やればやるほど、結果が出る。ラグビーのポジション争いで競り勝つのと同じように、テストの点数や学年順位で上位をキープすることも、自分を証明する手段になった。かつての「消極的な自分」は少しずつ消えていった。得意なことだからこそ「負けたくない」そんな純粋な想いが、部活と勉強の両輪を加速させる最強のモチベーションへと変わっていったのだ。友人たちにも恵まれた。一癖も二癖もある面白い奴らと泥にまみれ、共通の目標に向かって知略を巡らせる日々は、中学時代の「耐える時間」とは正反対の、眩しいほどに充実した時間だった。

そして、4年生の冬。僕の人生のグラフは、ついに最高到達点に達する。全国高専大会、決勝。冷たい風が吹くグラウンド。隣で肩を組む仲間の体温と、芝の匂い。笛の音が響き、ノーサイドの瞬間、僕たちは日本一になった。

「1位だ。本当に、俺たちが日本一なんだ」

人生で初めて手にした「正真正銘の1位」。これまで空手の区大会3位や学業成績など、自分一人の小さな勝利はあった。けれど、信頼できる仲間と共に、知略を尽くしてピラミッドの頂点に立った景色は、あまりに鮮烈で、眩しかった。勉強も、部活も、人間関係も、すべてが思い通り。挫折を知らず、右肩上がりの軌道を描き続ける僕の人生。当時の僕は、この無敵感が永遠に続くのだと、疑いもしていなかった。

だが、空高く舞い上がった楕円のボールが、いつかは地面に落ちるように。絶頂の後に待ち構えていたのは、僕がこれまで築き上げてきたプライドを粉々に打ち砕く、冷酷な現実の連続だった。

第4話:高専編入

高専編入試験の特徴 ――絶頂から急落した「孤独な夏」

順風満帆に見えた高専生活の先で、初めて大きな壁にぶつかる。

■ 絶頂のノーサイドと、新たな戦場

4年生の冬、僕たちはついに日本の頂点に立った。ラグビー全国高専大会。ノーサイドの笛が鳴り響いた瞬間、僕が手にしたのは、これまでの人生で最も純度の高い「1位」という達成感だった。人生のグラフはこれ以上ないほどに跳ね上がり、僕は自分が「無敵」であるかのような錯覚に陥っていた。しかし、祝杯の余韻に浸る時間はなかった。優勝のわずか数日後、僕は部室で休部を宣言した。「次は、大学編入という試合に勝つ」

進学への想いは、高専2年生の頃から温めてきたものだ。「20歳で現場の最前線に立つイメージが湧かない」という不安、先生から告げられた「研究職を目指すなら大学院が必須」という現実、そして何よりキラキラとした「大学生」への強い憧れ。そんな想いを胸に、僕はグラウンドを後にした。

■ 高専編入試験という名の「迷宮」

だが、そこから始まったのは、ラグビーの試合よりもはるかに複雑で孤独な、編入試験という名の「迷宮」だった。高専からの編入試験は、一般的な大学入試とはルールが全く異なる。共通テストのような一斉試験はなく、各大学が試験日も科目も「勝手」に決めるのだ。
ある大学は数学と物理を重視し、別の大学は英語の代わりにTOEICのスコアを要求する。機械系の学部なら、材料力学や流体力学といった専門科目が加わることもある。受験料を払えばいくらでも併願はできるが、大学ごとに科目がバラバラでは対策が追いつかない。

「これ、併願戦略そのものが一つの巨大なパズルじゃないか」

僕は、あの「観察と分析」の癖をフル稼働させた。受験料を払えばいくらでも併願はできる。しかし、大学ごとに科目がバラバラでは対策が追いつかない。僕は効率を考え、数学・物理・英語という共通科目が中心の大学に絞り、戦略を立てた。

■ 誰も教えてくれない「締切日トラップ」

しかし、編入試験には先生も教えてくれない恐ろしい「落とし穴」があった。それは…
第一志望校の試験日よりも前に、滑り止め大学の「入学手続き締め切り」が来てしまう可能性があるということだ。簡単に言えば、たとえ滑り止めに合格しても、本命の試験を受ける前に「入学します」という誓約と手続きを求められ、期限が過ぎれば合格は取り消される。
本命を信じて滑り止めを捨てるか、多額の入学金を払って保険をかけるか。この「締切日トラップ」を計算に入れておかないと、併願そのものが形骸化してしまうのだ。

こうした豆知識は、偶然先輩から聞くか、自分で進めながら気づくしかない。孤独な情報戦。これこそが編入試験の真の恐ろしさだった。

■ 守りに入った心と、残酷な「拒絶」

5月、滑り止めの大学と専攻科には無事合格した。だが、これが僕の心を「守り」に入らせてしまった。周囲では就職や進学が早々に決まった友人たちが遊び始めている。その喧騒を横目に、僕は8月の本命校――大阪大学、神戸大学――に向けて、一人机に向かい続けた。

孤独だった。休部したことで、これまで僕を支えていた仲間との繋がりも遮断されていた。孤独なプレッシャーと、「すでに合格は持っている」という甘い誘惑が、僕の集中力をじわじわと削り取っていった。そして、運命の8月。画面に映し出された不合格の文字。人生で初めて突きつけられた、残酷なまでの「拒絶」だった。「やればできる」と信じていた僕の攻略法は、高専の外にある、より広大でシビアな世界には通用しなかったのだ。

結局、僕は隣県の岡山大学へ進むことを決めた。合格を手にしていたはずなのに、心は敗北感で真っ黒だった。無敵だと思っていた自分は、ただの狭い世界の王様だったのかもしれない。そんな苦い後悔を抱えたまま、僕の「高専最後の夏」は終わろうとしていた。

第5話:大学編入

大学編入のわけ―泥を舐めて掴んだ再起

仲間の言葉が、腐りかけていた自分をもう一度立ち上がらせた。

■ 人生最大の墜落

本命校への不合格。画面に映る「不合格」の文字は、これまで積み上げてきた僕の万能感を粉々に打ち砕いた。その喪失感を埋めるように、僕は逃げるようにグラウンドへ戻った。かつての仲間がいる場所、自分が一番輝いていた場所。そこに行けば、傷ついた自尊心を癒やせると思っていた。しかし、現実は想像以上に冷酷だった。

「次の練習、Bチームに入ってくれ」
監督から告げられた言葉に、目の前が暗転した。僕の場所だったはずのスタメンには、この半年間、死に物狂いで泥にまみれてきた後輩がいた。受験に落ち、ラグビーでも居場所を失った僕は、完全に腐り切っていた。練習に行っても身が入らず、かつての「軍師」の面影は消え、ただ過去の栄光にしがみつく無様な敗北者がそこにいた。

■ 絶望の底で灯った火

腐り続けたまま数週間が過ぎたある日、ロッカールームで同級生の数人が声をかけてきた。

「どうしても、お前にスタメンで出てほしい」

その言葉が、僕の心を揺さぶった。同時に、情けなさと恥ずかしさで胸が締めつけられた。仲間たちがこんな想いを抱えているのに、僕は何をしていたんだ? プライドが傷ついたからといって、腐って、逃げて、この仲間たちを裏切っていたんじゃないか。ふと引退する自分の姿を想像した。このまま補欠として、誰の記憶にも残らずに消えていくのか?

「――いやだ。このまま終わったら、仲間にも、自分にも、一生後悔する」

心の底で、眠っていた僕の「負けず嫌い」が火を噴いた。僕は再び、あの「観察と分析」を自分自身に向けた。今の自分に足りないのは、プライドを守ることではない。今のチームを勝たせるために、泥にまみれて自分の価値を証明することだ。

翌日から、僕は別人のようにグラウンドを走った。誰よりも早く現れ、誰よりも遅くまでウェイトルームに籠もった。死に物狂いの努力が実を結んだのは、全国大会まで残り2週間となった練習試合だった。獅子奮迅のプレーを見せた僕に、監督は無言でAチームのジャージを差し出した。自力で奪い返したそのジャージは、優勝メダルよりも重く感じられた。

迎えた決勝。結果は惜敗だった。けれど、一度どん底まで落ち、そこから仲間の想いに支えられながら自分の足で這い上がったという手応えは、受験の失敗という傷跡を、人生を支える「本物の自信」へと変えてくれた。そして何より、仲間のために戦うことの尊さを、僕は深く胸に刻んだ。

■ 揺れる進路と、恩師の言葉

ラグビーを終え、いよいよ進路の最終決定を迫られた時、僕は激しく葛藤していた。手元にあるのは岡山大学への合格通知。しかし、僕の心には「もう一度、本命校に再チャレンジしたい」という未練がくすぶっていた。

「高専の専攻科に進めば、2年後にもう一度、大学院入試でリベンジできる……」

安定した慣れ親しんだ場所で、再起を期すか。それとも、敗北感を抱えたまま未知の場所へ行くか。迷いの中、担任の先生に相談を持ちかけた。そこでかけられた言葉が、僕の視界を真っさらにした。

「高専っていうのは、ものすごく狭い世界だ。あんたの能力なら、早くその外の世界を知ったほうがいい。岡山へ行け」

その一言が、僕の背中を押した。学歴の書き換えに執着して「要塞」の中に留まるよりも、今はまだ見ぬ広い世界に飛び込むことの方が、今の自分には必要なのだと直感した。

■ 新天地・岡山 ――「何者」でもない自分へ

春。僕は岡山駅のホームに立っていた。そこには、僕を知る人間は誰一人いない。全国優勝したラガーマンも、受験に失敗した敗北者も、ここではただの「編入生」だ。
僕は決めていた。この大学生活では、今までとは違う自分を生きてみようと。これまでは「勝ち負け」や「正解」にこだわり、技術者としてのエリートコースを歩むことばかりを考えていた。でも、先生の言う通り「狭い世界」を出た今、僕の前には定義のない自由な世界が広がっている。

「まずは、ラグビー以外の世界を覗いてみよう」

そんな軽い気持ちで踏み出した一歩が、ボランティア活動、そして多種多様な生き方をする大人たちとの出会いに繋がっていく。高専では決して学べなかった「正解のない問い」に向き合う日々が、まもなく始まろうとしていた。

第6話:大学生活

編入生の過ごし方 ――「キャラ変」と多様性の海

正解だと思っていた世界の外に、想像以上に広い可能性が広がっていた。

■ 「狭い世界」からの脱出

岡山駅に降り立った僕の胸にあったのは、期待よりもむしろ「焦り」に似た高揚感だった。担任の先生が言った「高専は狭い世界だ」という言葉の真意を、僕は岡山大学という巨大なキャンパスに足を踏み入れた瞬間に理解することになる。

高専での5年間、僕の周囲には「技術者こそが人生の正解」という空気が当たり前のように流れていた。将来はメーカーのエンジニアか研究者。それが唯一の成功ルートだと信じて疑わなかった。しかし、大学という場所は、僕の凝り固まった価値観を根底から揺さぶった。

そこには、普通の高校を卒業し、技術者ではなく「生き方そのもの」を模索しに来た人々が溢れていた。教育、経済、文学、芸術。それぞれが多様な目標を持ち、正解のない問いに情熱を傾けている。高専という銀色の要塞の外側には、こんなにも彩り豊かな世界が広がっていたのかと、僕は言葉を失った。

■ 解放された好奇心と、溢れ出す行動力

編入生として大学3年生から合流する。教室を見渡せば、すでに固まった仲良しグループがいくつも出来上がっている。普通なら戸惑う場面かもしれない。でも、僕の中には妙な確信があった。
高専5年間を通じて、内気だった自分はすでに変わり始めていた。そして何より、受験の挫折から這い上がり、仲間の想いに応えて全国大会の舞台に立った経験が、僕に根拠のない自信を与えていた。「自分は何でもできる」――そんな万能感すら抱いていたかもしれない(笑)。

だから僕は、恐れることなく動いた。それは「自分を変えたい」という悲壮な決意ではなく、「もっと色んな外の世界を見たい!」という純粋な好奇心だった。

あらゆる誘いに「Yes」と答えた。驚かれるかもしれないが、3年生でありながら、あえて1年生のふりをして「新入生歓迎会」にも潜り込んだ。今振り返っても、あの時の自分の行動力には驚くが、当時の僕にとってそれは自然な流れだった。積極的に学生たちの中へ飛び込み、これまで関わることのなかったタイプの人々と語り合う。その一つひとつの出会いが、僕の視野を広げていった。

■ 新たな情熱の対象――飲食イベントという舞台

そんな中で出会ったのが、飲食イベントのボランティア活動だった。最初は軽い気持ちで参加したそのイベントが、僕の心を一瞬で掴んだ。地域の人々と一緒に食事を作り、場を作り、笑顔を生み出していく。その過程で生まれる「繋がり」や「温かさ」が、研究室での実験とはまた違った種類の充実感をもたらしてくれた。

「これだ」と思った。高専ではラグビーに情熱を注いでいた。その同じ情熱を、岡山ではこのボランティア活動に注ごう。僕は迷わず、そう決めた。
そこから、僕はこの活動に没頭していった。イベントの企画に関わり、運営の中心メンバーとして動き、気づけば週末のほとんどをこの活動に費やすようになっていた。ラグビーで培ったチームワークや分析力が、ここでも活きている実感があった。何より、この活動が純粋に楽しかったのだ。

■ 多様な大人たちとの出会い

情熱を注いで取り組んだからこそ、僕は活動を通じて多種多様な「大人」たちと出会うことになった。個人事業主として独立した人、市役所で地域づくりに携わる職員、有機農業に人生を賭ける農家、フリーランスのクリエイター。彼らはそれぞれ、高専では決して出会えなかったタイプの人々だった。そして彼らとの対話は、僕に「働くこと」の概念を根底から再定義させた。

技術を極めることだけが、仕事じゃない。数字で測れる成果だけが、価値じゃない。人と人との「繋がり」を紡ぐことや、誰かの「感情」を動かすことも、立派な仕事になる。

高専で感じていた「ものづくりの楽しさ」は確かに本物だった。でも、外の世界で多様な人々と触れ合う中で、それとはまた別の、形のない「繋がり」や「感情」を動かす仕事への興味が、僕の中で芽生え始めていた。

第7話:就活前編

コロナ禍での就活 ――絵と、東京という選択

やりたいことが分からないまま、それでも選択し続けるしかなかった。

■ 揺らぎ始めた「技術者」への道

「僕は、本当に一生、材料の研究者として生きていきたいのだろうか?」

その疑問が、静かに、しかし確実に僕の心に居座るようになった。これまでは「技術者としての1位」を目指していた。それが唯一の正解だと信じていた。けれど、世界には1位の獲り方が無数にあり、そもそも1位を目指す必要がない生き方だってある。飲食イベントで出会った大人たちは、そのことを身をもって教えてくれた。

その事実は、僕を自由にし、同時に迷わせた。高専という要塞から飛び出して、まだ1年も経っていない。でも、僕の中の「当たり前」は、もうすでに大きく揺らぎ始めていた。

■ 決意の先延ばし ――大学院という「選択の猶予」

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大学4年生の春。周囲の友人たちは次々と就職活動を始めていた。リクルートスーツに身を包み、企業説明会に通う姿を見るたび、僕の胸に焦りが募る。しかし同時に、「今、この問いに答えを出してしまっていいのか?」という躊躇も確かにあった。

進路の選択は、大学4年生で終わらせるにはあまりに惜しい。もっとこの多様性の海に浸っていたい、そして自分の本当の答えを見つけたい。僕は、大学4年生で就職するのではなく、大学院へ進むことを決めた。

それは単なるモラトリアムではなく、就職という大きな決断を「より納得のいく形」にするための、戦略的な時間の確保だった。ただ、完全に技術を捨てる決心がついたわけでもなかった。高専時代に積み上げてきた専門知識や、実験に没頭した時間は、今の僕を形作る大切なパーツだからだ。だからこそ、大学院という場所で、研究者としての可能性も、外の世界で見つけた新しい自分も、どちらも欲張って見極めてみたかった。

■ 閉ざされた世界で開いた「窓」

大学院へ進学し、研究者としての道と「新しい自分」の間で揺れていた僕の日常は、突如として訪れた「コロナ禍」によって一変した。キャンパスは閉鎖され、静まり返った研究室と自宅を往復する日々。あれほど情熱を注いでいた飲食イベントも、すべて中止になった。人と会えない孤独が、僕の心を少しずつ削り取っていた。

そんな閉塞感の中で、僕はふと思い立ち、iPadを購入した。「久しぶりに、絵を描いてみよう」。それは中学や高専の激動の日々の中で、いつの間にかクローゼットの奥に仕舞い込んでいた純粋な好奇心だった。

SNSに自作のイラストを投稿し始めると、思いがけない反応が返ってきた。「これ、いいじゃん!」「もっと見たい」。友人たちのその一言が、暗い部屋に閉じこもっていた僕の光になった。研究活動は要領よくこなし、データ整理の合間にペンを走らせる。次第に生活の軸足は、専門の材料工学から、画面の中の鮮やかな色彩へと移っていった。

「もしかして、僕は絵を描くことを仕事にしたいんじゃないか?」その想いは、一度芽生えると、もう無視できないほどに大きく膨らんでいった。

第8話:就活後編

決断の先にある新しいフィールド

不安をごまかすように選んだ道の中で、それでも前に進もうとしていた。

■ 東京を軸にした「パズルの完成」

「クリエイティブな仕事がしたいなら、まずは東京に行け」 あの時、恩師とも言える大人が放った一言で、僕の視界を覆っていた霧は一気に晴れた。働く内容だけでなく、働く「場所」を東京に定めたことで、バラバラだったパズルのピースが音を立てて嵌まり始めた。

どんな会社を受け、どんなスキルを磨くべきか。すべてが「東京」という北極星を基準に整理され始めたのだ。高専という要塞を出て、岡山で多様性の海を知り、コロナ禍の閉塞感の中でiPadという窓を見つけた。そして今、東京という巨大な舞台が僕を呼んでいた。

■ 恐怖を隠した「戦略的選択」

しかし、本心を言えば、最初からデザイナーとして勝負することには拭いきれない恐怖があった。「挫折したときに後悔しないよう、先にエンジニアのキャリアを積んでおくべきだ」と周囲にはもっともらしい理由を語っていたが、本音は違った。デザイナーの選考で真っ向から否定されるのが、ただ怖かったのだ。

その恐怖から目を逸らすように、僕は「エンジニアとして大企業に入る」という戦略を選んだ。研修制度が整い、将来の潰しが効く。そして何より、東京近辺で確実に働けること。それが僕の譲れない基準となった。

多くのメーカーは、入社するまで配属先がわからない「配属ガチャ」のリスクがある。地方の工場に飛ばされれば、東京という目標は瓦解する。だから僕は、配属リスクを徹底的に分析し、確実に首都圏で働ける会社へと狙いを定めた。

■ 最初の内定が示した「直感」

高専で培った分析力と大学で得た多様な視点を武器に、就職活動は順調に進んだ。いくつかの内定をいただいた中で、最終的な決め手となったのは「一番最初に内定を出してくれた」という事実だった。

誰よりも早く僕の価値を認めてくれた会社。そこには理屈を超えた縁があるように感じた。また、絵を描き続け、感性を磨く時間を確保するために、プライベートの時間が取りやすい環境であることも重要だった。こうして僕は、最初に手を差し伸べてくれた精密機器メーカーへの切符を掴んだ。

■ 駆け抜けたモラトリアムの終焉

内定を得てからも、僕の足が止まることはなかった。むしろ、終わりが見えた学生生活を一秒も無駄にしたくないという執念すらあった。深夜まで及ぶ研究の合間に、毎日iPadで絵を描き続けた。知人の会社のWebデザインを手伝い、岡山で出会った人々とのプロジェクトにも片っ端から顔を出した。

技術者として働く道を選んだが、それは表現を諦めることと同義ではない。むしろ、技術と感性を掛け合わせた「新しい何か」を探るための出発点だと捉えていた。「研究者の道も残したい」というかつての迷いは、いつの間にか「この二つの武器を持って、東京で何を仕掛けようか」という前向きな野心へと変わっていた。

岡山での5年間。挫折、キャラ変、孤独、そして出会い。すべてを抱えて、春、僕は東京へ向かう。新しいフィールドで何が待っているのかは分からない。でも、それでいい。分からないからこそ、面白い。

僕の新しい物語が、今、幕を明けようとしていた。

第9話:新社会人

社会人1年目の悩み―本当にやりたいことと拭えぬ閉塞感

環境は整っているのに、なぜか満たされない自分がそこにいた。

■ 眠れない夜と、贅沢な空虚

憧れの東京生活が幕を開けた。週末は美術館やギャラリーを巡り、感性を磨く日々。しかし、平日の仕事にはどうしても心が躍らなかった。

特に最初の3カ月は、慣れない環境と「眠れない夜」に苦しんだ。会社の研修は、部署見学とレポート作成が主な業務。気疲れはするものの、体力は有り余っている。脳は興奮しているのに体は疲れていない。そのアンバランスさが、僕の睡眠を奪った。

配属先は、面接時から希望していた部署に決まった。しかし、研修で全部署を回ってみると「他の現場も面白そうだ」と目移りした自分もいた。結局、再希望を伝える場はなく、決まったレールを歩き出す。「本当にここで良かったのか」という小さな違和感を抱えたまま、社会人としての本格的な一歩を踏み出すことになった。

■ 「数字」に喰われた感性

仕事環境は、客観的に見れば「勝ち組」だった。人間関係は良好で給料も高く、ほぼ毎日定時で上がれる。だが、クリエイティブな渇望を抱える僕にとって、それは「物足りなさ」という名の毒だった。

その穴を埋めるために、帰宅後は必死にペンを握った。しかし、インスタグラムに投稿しても反応は薄い。気づけば「自分が何を描きたいか」ではなく「どうすれば閲覧数が伸びるか」ばかりを考えるようになっていた。純粋な楽しさは消え、数字に一喜一憂する自分に嫌気がさし、次第にキャンバスに向かう頻度は減っていった。

帰宅後、無為にスマホを眺めて一日を終える。日記を開けば、綴られるのは現状への不満とマイナスな言葉ばかり。「俺は何のために東京に来たんだ?」閉塞感の霧の中で、僕は出口のない迷路を彷徨っていた。

■ 覚悟の「一円」と、戦場の選択

そんな日々が10カ月ほど過ぎたある日、鏡の中の死んだ目をした自分を見て、猛烈な嫌悪感が込み上げた。「こんなつまらない人生を一生続けるつもりか?」かつて岡山で大人の助言を受け、野心を燃やしたあの時の原点に、僕は再び立ち返った。

まずは目標を立てた。「自分のやりたいことで、一円でもいいから価値を生む。数万円でも稼いでみせる」イラストを「趣味」ではなく「副業」として成立させる。その決意が、止まっていた僕の時計を動かした。

プロと正面から戦うには、まだ武器が足りない。営業をかける勇気もない。だからこそ、僕は高専時代から得意だった「戦略的思考」を再び呼び戻した。「誰もが自由に始められ、数字で実力が可視化されるSNSを戦場にする。目標はフォロワー1,000人。徹底的に数字にこだわってやる」

僕は再び、軍師としてのマントを羽織った。しかし、その先に待っていたのは、想像以上に過酷なアルゴリズムの壁だった。

第10話:副業

SNSフォロワー5000人になって気づいた真実と数字の檻

評価されるほどに苦しくなる、“数字に縛られる自分”と向き合った日々。

■ 戦場の選択と、孤独な朝のルーティン

SNSを主戦場に定めた僕が最初に直面したのは、「プラットフォームの構造」という壁だった。当時のインスタグラムは、すでに多くのフォロワーを持つ者がさらに拡散される仕組みで、新規参入者にはあまりに冷酷な場所だったのだ。

そこで僕は、持ち前の「分析」を巡らせ、一つのアプリに目をつけた。当時、若者を中心に爆発的な勢いを持っていた「TikTok」だ。フォロワー数に関係なく、アルゴリズムによって誰もが平等に拡散のチャンスを得られる。ここに僕の勝機があると考えた。

決意した日から、僕の生活は一変した。「年内1,000フォロワー」という数字に執着し、友人からの遊びや飲みの誘いは全て断ち切った。毎朝5時半に起き、出社前の1時間を制作に充てる。定時で退社してからは、寝る直前までiPadと向き合う。動画の投稿頻度こそが命だと信じ、文字通り私生活のすべてをTikTokに捧げた。しかし、3ヶ月間走り続けて増えたフォロワーは、わずか50人。目標には程遠い、残酷な現実だった。

■ 20万再生の衝撃と「分析」の勝利

「やっぱり自分には向いていないのか」 諦めの言葉が脳裏をよぎる。しかし、以前の挫折と決定的に違っていたのは、制作がすでに「習慣」の一部になっていたことだ。書くことに辛さはない。ならば、やり方を変えるだけだ。

僕は伸びている動画の構成、視聴者の視線誘導を徹底的に解剖し、試行錯誤を繰り返した。そして一つの動画に、その仮説を全て注ぎ込んだ。投稿ボタンを押した翌朝、スマホの通知が止まらなくなっていた。20万再生。一晩で世界が変わった。フォロワー数はそこから倍々ゲームのように増え続け、気づけば5,000人。僕のイラストが、ついに世の中に「評価」された瞬間だった。

■ 終わりのない競争と、消えない閉塞感

ようやく手にした成功。しかし、僕の心を満たしたのは喜びだけではなかった。フォロワーが増えるほど、次の「数字」を追い求めなければならない強迫観念が僕を支配した。目標から逆算して自分を追い込み、理想の自分と足りない自分のギャップにさらされ続ける日々。次第に嬉しさよりも、激しいストレスが僕を摩耗させていった。

一方で、本業の会社はどうだったか。2年目になり、任せてもらえる業務の幅は確実に広がっていた。環境は恵まれている。しかし、副業での目標達成と「稼ぐこと」に全ての神経を注ぎ込んでいた僕にとって、会社は依然として楽しみを見出せない場所のままだった。

東京に来て2年。SNSで5,000人の支持を得てもなお、僕の心にある閉塞感は消えていなかった。「これが、僕が本当に求めていた姿なのだろうか?」摩天楼の下、数字の檻の中で、僕は再び自問自答を始めていた。

第11話:現在

やりがいの見つけ方―「自分だけ」の価値は何か

遠回りも挫折も含めて、ようやく「自分らしい形」が見え始めてきた。

■ 新しい風を求めて

フォロワー5,000人という目標を達成した僕を待っていたのは、予想以上に厳しい「個人で稼ぐ」という現実だった。SNSの数字は必ずしも収益には直結しない。イラストのスキルだけで突き抜ける難しさを痛感した僕は、一度視点を変え、自己投資としてWebデザインスクールへ半年間通うことを決めた。

目的はスキルの幅を広げること、そして何より、一年間自宅に引きこもってペンを握り続けてきた自分に「外の世界」の刺激を与えることだ。仕事、イラスト制作、そしてデザインの勉強。マルチタスクで睡眠時間を削る日々は体力的に過酷を極めたが、不思議と心は満たされていた。Webのコードを学び、デザインの概念を吸収し、志を同じくする仲間と語り合う。そこには、かつての学生時代のような純粋な楽しさがあった。

■ 「高専」というバックグラウンドの再発見

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スクールでの出会いは、僕に思わぬ気づきをくれた。第一線で活躍するクリエイターやデザイン業界の人々と話す中で、彼らは僕のこれまでの経歴――高専卒で、現在も製造業の技術職であること――に強い興味を示してくれたのだ。

「そのバックグラウンドは、この業界ではすごく珍しくて価値があるよ」

工業の世界にずっと身を置いていた自分にとっては当たり前の景色が、外の世界から見れば独自の強みに映る。製造業に関わっていること、工学の知識があること。それを「面白い」と言ってもらえた時、僕はようやく、自分が歩んできた道のりを受け入れ、肯定することができた。

クリエイティブに固執しすぎていた肩の力が、ふっと抜けた。「技術」と「感性」を切り分ける必要なんてない。むしろ、その二つが混ざり合う場所にこそ、僕にしか提供できない価値があるのではないか。そう思えた時、これまで退屈に感じていた本業の仕事にも、新たなやりがいと楽しさを見出すことができた。

■ 楽しみながら、人を喜ばせるために

現在はスクールを卒業し、再び技術者として働きながらイラストを描く日常に戻っている。しかし、今の僕は以前の「目標に追われる自分」ではない。

目標から逆算して自分を追い込み、数字のギャップに苦しむスタイルはもう卒業した。これからは、哲学や芸術史、英語、さらには電気工事士の資格取得など、多方面への学びを楽しみながら深めていきたいと考えている。技術者の視点を持ったクリエイターとして、あるいはクリエイティブを理解する技術者として。

「技術者のものづくり」と「クリエイターのものづくり」を融合させ、自分にしか描けない未来を作っていく。何より大切なのは、僕自身が楽しみ、その先に誰かの喜びがあること。高専を出て、挫折と再起を繰り返した僕の物語は、今、ようやく自分らしい「ノーサイド」を迎え、新しいフィールドへと続いていく。

ーー 完結 ーー

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