空から大地へ──夢を追い続けた高専卒の選択
なるき naruki
神戸高専から航空整備士、農業経営、通信事業へ。
異なる分野を越えて挑戦を重ねてきたキャリアストーリー。
夢を叶えたその先で、
もう一度「自分の人生」を選び直した
中学生の頃から憧れていた航空整備士という夢を叶え、
その後まったく未経験だった農業の世界へ。
厳しい現場、事業立ち上げ、挫折、そして企業の農業事業企画へ。
一つの夢を叶えて終わるのではなく、その時々で自分自身に問い直しながら
新しい道をつくってきた、なるきさんのキャリアを6つの章からたどります。
「航空整備士」になるために、
高専で積み重ねた時間
高専に合格したあの日から、なるきさんの人生は確実に 「航空整備士」という夢へ向かって動き始めた。
入学当初は、周囲のクラスメイトのレベルの高さに圧倒され、 授業についていくだけでも必死だった。 特に数学や化学は、飛行機の仕組みを理解するための基礎でもあり、 「ここを理解できなければ先へ進めない」と感じながら勉強を続けた。
しかし、学年が上がり専門科目が増えるにつれて、 不安は少しずつ「学ぶことの面白さ」へ変わっていった。 材料力学や構造力学を学ぶことで、 飛行機が多くの計算や技術の積み重ねによって飛んでいることを 実感できるようになっていった。
4年生になる頃には航空会社のインターンにも参加。 整備士たちが機体を点検し、 一機の飛行機を安全に送り出していく姿を目の前で見た。
「自分が目指している世界は、まさにここなんだ」
中学生の頃に抱いた夢は、 高専で学ぶ5年間を通して、 少しずつ現実の職業として形になっていった。
明確な夢に向かって、 必要な知識と経験を一つずつ積み重ねていった5年間。
夢を叶えたその先で、
初めて生まれた違和感
高専卒業後、念願だった航空会社へ入社。 最初の1年間は研修生として、 航空機の構造や整備技術を身につける日々が始まった。
初めて自分の手で整備に関わった飛行機が 滑走路を走り、そのまま空へ飛び立っていく姿を見送ったとき、 子どもの頃から憧れていた世界に 本当に自分が立っていることを実感した。
長年追い続けてきた夢は、確かに叶った。 しかし、その直後に世界を大きく変える出来事が訪れる。
空港から飛行機が消え、航空業界全体が大きく冷え込んだ。 当たり前だと思っていた景色が変わる中で、 なるきさん自身の価値観も少しずつ揺れ始めた。
「航空整備士になりたい」という夢を叶えたからこそ、 次に浮かんできたのは 「この先、自分はどう生きたいのか」 という問いだった。
そんな時に出会ったのが、 ムハンマド・ユヌスの自伝だった。 自分自身の成功だけではなく、 人生そのものを使って誰かの役に立つという生き方を知り、 心が大きく動いた。
「夢を叶えること」から、「人生を何に使うのか」へ。 キャリアを見る視点が変わり始めた。
夢だった整備士を辞め、
経験ゼロの農業へ
航空整備士を辞めるという決断は、簡単ではなかった。 次に何をすればいいのか、自分に何ができるのかも分からない。
そんな中、高校時代の先輩から届いた一本の連絡が、 人生を大きく動かすことになる。
先輩が話してくれたのは、 技術と仕組みを掛け合わせた新しい農業だった。
しかし、なるきさん自身には農業経験は一切なかった。 家族に農家がいるわけでもなく、 大阪で暮らした経験すらなかった。
それでも、不思議と強い迷いはなかった。 「一度この世界に飛び込んでみたい」という気持ちが、 不安を上回っていた。
一番伝えづらかったのは両親だった。 航空整備士は中学生の頃から追い続けてきた夢であり、 その夢が叶ったとき、 誰よりも喜んでくれたのが両親だったからだ。
「本当にやりたいなら、やってみたらいい」
最後は家族にも背中を押され、 安定した航空会社を離れ、 大阪という知らない土地で 農業に挑戦する道を選んだ。
これまで積み上げてきたキャリアを一度手放し、 経験のない世界へ飛び込む決断をした。
理想では回らない。
農業と経営のリアルを知った
大阪で始まった生活は、 航空整備士として働いていた頃とはまったく違うものだった。
住まいは農場の端にある 4畳ほどの物置小屋。 寝床として軽バンを使うこともあり、 朝4時半には真っ暗な農場へ向かう生活だった。
夜に銭湯へ行けるのは3日に1度ほど。 それ以外の日は身体を拭いて終わる。 食費もできる限り削り、 想像していた以上に厳しい生活が続いた。
しかし、本当に難しかったのは生活ではなく、 「農業を事業として成立させること」だった。
野菜は人間の都合を待ってくれない。 作物を育てながら、収穫し、営業し、配送し、請求書を作り、 病害虫や天候への対策も考える。
生産、販売、営業、配送、経理、研究。 一つの農業事業を動かすために必要な仕事を、 ほぼすべて自分たちで回す日々だった。
農業とは「作物を育てる仕事」だけではない。 生産から販売、経営までを一つにつなげる仕事だと知った。
「続けたい」だけでは続かない。
離れることを選んだ
厳しい生活の中で支えになったのは、 SNSを通じてつながった人たちや、 同じように新しいことへ挑戦している仲間たちだった。
さまざまな人と出会う中で、 農業は作ることだけでなく、 「どう売るか」「どう伝えるか」「どんな価値をつくるか」 まで考えなければ事業にならないことを学んでいった。
取引先も少しずつ増えていった。 しかし、売上が増えればそのまま経営が楽になるわけではなかった。
資材費、配送コスト、天候による収量の変化。 さまざまな要因が重なり、 利益は簡単には残らない。
「続けたい」だけでは、続けられない。
そこで仲間たちと話し合い、 一度それぞれの場所で力をつけることを決めた。
経営として通用する知識やスキルを身につけ、 もう一度挑戦できる状態になってから戻る。
それは夢を諦めるための撤退ではなかった。 続けるために、一度離れるという選択だった。
想いだけでは事業は続かない。 経営として成立させる力もまた、社会課題に挑むために必要だと知った。
遠回りした経験を、
次の誰かの挑戦につなげる
現在は、農業に関心を持つ企業に向けて、 新規農業事業の企画や事業戦略の立案に関わっている。
自分自身が、何もない状態から農業事業を立ち上げ、 生産、営業、販売、配送、経営まで経験してきた。
だからこそ、 机上の理論だけでは見えない農業現場の課題や、 「実際に事業として続けるためには何が必要なのか」という視点から 提案できるようになった。
そして現在、 実践型の農業コンサル 「サクッとクリエイティブ」と、 高専生・高専卒業生のキャリアや挑戦をつなぐ 「Kosen Talk Ring」という新しい取り組みにも挑戦している。
高専を卒業して、就職する。 一つの夢を叶える。 それでも、その先で 「本当にこのままでいいのか」 と立ち止まる人は少なくない。
なるきさん自身も、まさにその一人だった。
航空整備士になった経験も、 農業の世界へ飛び込んだ経験も、 事業が思うようにいかなかった経験も、 今ではすべて現在の仕事につながっている。
夢を叶えることが、ゴールではない。
その先で何を感じ、何を選び、
もう一度どう動くか。
遠回りした経験も、失敗した経験も、
次の誰かが一歩踏み出すための材料に変えていく。
それが今の、なるきさんの挑戦です。
同じようにキャリアの
分岐点に立っている方へ
高専卒のキャリアは一つではありません。
迷いながら選び直した先に、新しい挑戦が始まることもあります。