PROFILE No.006 スポティー
30代 / 高専卒の物語

遠回りの先で、もう一度「教員」を目指して

プロフィール No.006

スポティー Spoty

高専で電子工学を学び、一度はその道に進むも、自分に合わない現実と向き合い続けた。
工業から離れる決断、体育科の大学編入、そして再び工学へ。

ニックネーム
スポティー
年齢
30代
性別
女性
出身校
神戸高専(電子工学科)
現在の職業
学校職員
経歴
神戸高専(電子工学)→ 某大学(体育学部)→ 大手スポーツアパレルメーカー(開発部門)→
学校職員
自己紹介
高専で電子工学を学ぶも、成績不振やバスケでの大ケガを経験し、体育学の大学へ編入。卒業後はスポーツメーカーで開発職を経験しました。それでも心に残り続けた「教育に関わりたい」という想いと向き合い、現在は高専を支える仕事へ。高専での挫折、大学編入、就職・転職など、迷いながら自分の道を選び直してきた経験をお話しします!
CAREER STORY No.006 スポティー Spotty

工業から離れた先で、もう一度つながった。
遠回りしながら「教育」に戻ってきたキャリア

数学やプログラミングへの興味から神戸高専・電子工学科へ進学。 しかし高専では成績不振や大きなケガを経験し、 「工業とは違う道へ進みたい」と体育・スポーツ分野へ方向転換しました。
大学では身体と工学を結びつける研究に取り組み、 卒業後はスポーツアパレルメーカーの商品開発へ。 そして社会人生活の中で再び芽生えた「教育に関わりたい」という思いから、 新しいキャリアを選び直すまでを6つの章からたどります。

CAREER FLOW
バスケットボール 神戸高専・電子工学科 成績不振・膝の大ケガ 体育学科へ大学編入 身体・動作解析研究 スポーツアパレルメーカー 商品開発 教育分野へ転職
01 幼少期〜中学
原点

体を動かす楽しさと、
弱音を見せないという原点

幼い頃から外で遊ぶことが大好きだったスポティーさん。 男の子たちに混ざり、 鉄棒やドッジボール、バトルゲームなどを楽しみ、 体を動かすことが自然な日常になっていた。

一方、母に勧められて始めたピアノは あまり好きにはなれなかった。 それでも「辞めたい」とは言えず、 小学6年生まで続けることになる。

「途中で弱音を吐くのは、なんとなく格好悪い」

そんな感覚は、 この頃から少しずつ自分の中に根付いていった。

小学生の頃には、 友人の父が営む塾にも通い始める。 理科実験の体験授業に惹かれて入塾したが、 仲の良い友人と一緒に学ぶ中で、 少しずつ勉強にも向き合うようになった。

中学校ではバスケットボール部へ。 部活動と勉強を両立する中で、 特に得意になったのが数学だった。

公式を使いながら、一つずつ答えへ近づいていくのが面白かった。

体を動かすことと、 答えを考えること。 この二つの「好き」が、 後の進路につながっていく。

この頃の原点

身体を動かすことへの興味と、 簡単には弱音を見せず続けようとする姿勢。 この二つが、スポティーさんのキャリアの土台になった。

02 高専受験〜高専生活
挑戦と挫折

憧れて入った高専で、
初めて自信を失った

中学3年生の春。 父から言われた一言が、 スポティーさんの進路を大きく変えた。

「数学が好きなら、高専という道もあるよ」

5年間の一貫教育で、 早い段階から専門分野を学べる。 普通科高校とは違う仕組みに惹かれ、 神戸高専を目指すようになった。

オープンキャンパスには申し込みが間に合わず、 校門の外から校舎を眺めただけだった。

それでも、 「ここがいい」 と直感的に感じた。

さらに中学校の技術の授業で プログラミングに触れ、 自分の書いたコードによって 画面上のものが動く面白さを知る。

そこから 神戸高専・電子工学科 を志望することになった。

本格的に受験勉強を始めたのは中学3年生の夏。 数学と理科には手応えがあった一方、 英語には苦戦した。

それでも過去問を繰り返し、 推薦面接の文章も丸暗記するほど準備。 試験当日には電車のトラブルもあったが、 無事に神戸高専への合格をつかんだ。

しかし、 入学後に待っていたのは 想像以上に厳しい高専生活だった。

最初の試験、40人中38位。

赤点も続き、 三者面談では 「このままだと留年する」と告げられた。

そんな中で支えになったのが バスケットボール部だった。 体育館にいる時間だけは、 自分らしくいられた。

しかし、 「この成績では部活も続けられない」と言われたことで、 ようやく勉強にも本気で向き合うようになる。

スケジュールを立て、 分からないところは先生に聞き、 少しずつ成績を上げていった。

ところが今度は、 バスケットボールの練習中に 膝の靭帯を損傷。

手術が必要な大ケガを負い、 心の支えだった部活から 離れなければならなくなった。

しかしリハビリの日々の中で、 人間の身体や筋肉の動きに興味を持ったことが、 次の進路へのきっかけになっていく。

高専で起きた大きな変化

成績不振と大ケガによって自信を失う一方、 「身体」という新しい興味に出会った。 挫折が、次の進路を考えるきっかけになった。

03 大学編入〜大学生活
方向転換と再接続

工業から離れた先で、
もう一度工学と出会った

高専で学年が上がるにつれ、 専門科目はさらに難しくなっていった。

好きだったはずのプログラミングにも苦戦し、 回路系の実験にも次第についていけなくなる。

「本当に、自分は工業に向いているのかな」

5年生になり卒業研究を進める頃には、 「もう工業はいい」 という気持ちが強くなっていた。

そんな時に思い出したのが、 高専から体育学科の大学へ進学した バスケットボール部の先輩だった。

膝のリハビリを経験したことで興味を持った 「身体」についてもっと深く学びたい。

そう考え、 体育学科への大学編入を決めた。

体力テスト、小論文、面接対策を重ね、 無事に合格。 兵庫を離れ、 九州で新しい大学生活を始めた。

スポーツ学を中心に学ぶ生活は、 高専とはまったく違った。

「ようやく工学から離れた」。 そう感じていたスポティーさんだったが、 思いがけない形で再び工学と向き合うことになる。

「高専出身だからこそ、できる実験や分析がある」

動作解析を専門とする工学系の教授から声をかけられ、 MATLABを使って 人間の身体の動きや筋電データを分析する研究に関わった。

高専で学んだプログラミングが、 スポーツや身体を分析するための道具 として再びつながった。

一方で、 スポーツ分野では正解が一つとは限らない。

バスケットボール部のマネージャーとして 選手の動きやケガ、 コンディションと向き合う中で、 少しずつ 「答えのない問いに向き合う力」 も身につけていった。

さらに教員免許取得に必要な単位も取得。

工学から離れるために選んだ大学で、 スポティーさんは 工学・スポーツ・教育という 新しい組み合わせを見つけていった。

大学で見つけたもの

一度は「向いていない」と感じた工学も、 使う場所や目的が変われば、自分の強みに変わる。 高専で学んだことが、別の形で生き始めた。

04 進路選択
選択

体育教師か、企業か。
迷いながら選んだ社会人への一歩

大学生活にも慣れた頃、 スポティーさんは次の進路と向き合った。

一つの選択肢は、 体育教師だった。

身体について学び、 教員免許の取得にも取り組んでいたため、 教育に進む道は自然な選択にも思えた。

そんな中、 卒業研究で関わっていた スポーツアパレルメーカーの担当者から 思いがけない声をかけられる。

「うちに来ないか」

企業就職はほとんど考えていなかった。

それでも指導教員から背中を押され、 まずは面接を受けてみることにした。

選考は想像以上にスムーズに進み、 内定を獲得。

一方、 教育実習では 「先生もいいかもしれない」と感じる瞬間もあった。

最後まで迷ったものの、 最終的には企業で働く道を選んだ。

違ったら、またやり直せばいい。

「この道しかない」と決め切るのではなく、 必要ならまた選び直せばいい。

そんな余白を持ったまま、 スポーツアパレルメーカーでの 社会人生活へ進んでいった。

進路に対する考え方

キャリアを一度の決断で固定せず、 「違えば、また選び直せる」 という柔軟な考え方を持って社会へ進んだ。

05 社会人
仕事と違和感

やりがいのある仕事の中で、
消えなかった小さな違和感

大学卒業後は関西へ戻り、 スポーツアパレルメーカーへ入社した。

社内の雰囲気は想像より柔らかく、 体育会系の部活動の延長のような空気もあり、 社会人生活への不安は少しずつ薄れていった。

研修後に配属されたのは、 開発部門

水着やトライアスロンスーツなどの 製品開発に携わった。

実験を行い、 結果を分析し、 改良して、 また試す。

高専や大学で経験してきた 「考え、試し、改善する」というプロセスが 仕事にもつながっていた。

そして何より、 自分が関わった製品が実際に形となり、 誰かに使われることには 確かなやりがいがあった。

大きな不満はなかった。 仕事も楽しかった。

それでも数年に一度、 心の中に小さな問いが浮かぶようになる。

「このままずっと、この会社で働き続けるのかな」

すぐに辞めたいわけではない。 むしろ仕事が充実していたからこそ、 その違和感を深く考えないようにしていた。

しかし、 その問いが完全に消えることはなかった。

社会人になって感じたこと

仕事にやりがいがあることと、 その場所でずっと働きたいと思えることは同じではない。 小さな違和感が、次のキャリアを考えるきっかけになった。

06 転職〜現在
現在地

止まっていた教育への思いが、
もう一度動き始めた

社会人として中堅に差し掛かった頃、 スポティーさんの中に かつて考えていた進路が再び浮かび上がってきた。

「やっぱり、先生になりたかったんじゃないかな」

体育教師になることも改めて考えた。

しかし、 教員という仕事の責任や負担について考える中で、 「教育に関わる方法は先生だけではない」と 視野を広げるようになる。

そこで見つけたのが、 大学職員という仕事だった。

関西圏の国公立大学などを調べる中で、 神戸市公立大学法人を知る。

さらに、その組織の中に 高専も含まれていることを知った。

「ここで働きたい」

履歴書や面接の準備を進め、 知人から話を聞きながら情報を集めた。

今の会社を辞めていいのか。 今の仕事にもやりがいはある。

何度も迷いながら、 最後は 「教育に関わりたい」 という自分の思いを選び直した。

内定を得た後も、 退職を伝えることには大きな葛藤があった。

特に、 長くお世話になった上司へ 退職を伝える瞬間はつらかった。

それでも、 自分が次の道へ進むために必要な決断だった。

そして4月。 スポティーさんは、 再び学校という場所に立った。

学生時代に思い描いていた 「体育教師」とは違う形だった。

それでも、 教育の世界へ戻ってきたという実感があった。

現在は学生だけでなく、 地元企業、行政、教授、高専OBなど、 多くの人と関わりながら 新しい取り組みに挑戦している。

振り返れば、 高専で自信を失った経験も、 工業から離れたことも、 体育・スポーツを学んだことも、 商品開発に携わったことも、 すべて今につながっている。

一度離れた工学。 大学時代に芽生えた教育への思い。 社会人として培った開発経験。

バラバラに見えていた経験が、 今ではスポティーさん自身の強みになっている。

SPOTTY'S CURRENT STORY

一度選んだ道から離れてもいい。
遠回りしても、また選び直せばいい。
過去の経験は、違う場所でもつなぎ直すことができる。

工学、スポーツ、研究、商品開発、そして教育。
「向いていない」と離れた経験さえも次の力に変えながら、
スポティーさんは今、自分で選んだ新しい道を歩いています。

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